芳瞠宣州(せんしゅう)お家元のご紹介
(新聞記事より抜粋)
花柳流で、”夙川(しゅくがわ=西宮市)のおっ師匠”といわれた花柳芳瞠(四世花柳芳次郎)
の二男。
芳瞠は初代家元花柳寿輔の養女つるの養子。
二世寿輔を助けて西日本を中心に花柳流を広め、座敷舞が中心の京阪地方に江戸前の舞踊
を合わせて独特な芸風を育てた。
「春風のようにはんなりした踊りぶり」(花柳寿楽)といわれる銀座育ちの芳瞠の芸風は関西の
地で親しまれ、敬愛されて大きくまとまった。
長男の花柳寛(現五世芳次郎)は早くから東京で創作活動を盛んにショービジネス界でも実力
を発揮したが、宣州は関西在住となった父親のもとで修行。
「息子というより内弟子のような生活」が続いて、花柳流の中でも独自の芸風を培った父を継ぐ
熱意が起きた。
花柳流からの独立につながる。
大流派の中で後まで父親の”芳次郎風”をのこすのは大変な作業。
流派を割ることにもなり、結局は4年間の裁判もあって、父親の名をとって芳瞠流を創流した。
昭和59年1月だった。
「創流にあたって本名を名乗る方もいますし、ぼくの本名が花柳雅一なので花柳流をそのまま
名乗らせていただきたいと考えたのですが、許されませんでした。今はすっきり父芳瞠の芸を
伝えながら、若い人に伝統芸を知ってもらおうと活動を続けています。」
長谷川一夫に師事、美空ひばりとも共演、永六輔・いづみたくとミュージカル活動も行った過去
は古典舞踊に専念する現在にも幅広い視野で反映している。
花柳流家元の後見人である兄の五世芳次郎の元で長女芳瞠香榎はスタッフでもあり流派を別
にしても芳瞠ファミリーは健在。
「新しい流派は苦しいことも多いのですが、それだけにやりがいもあります」
と慶応大学でフランス文学を専攻した家元は豊かな人脈の中で若々しく動いている。
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